西部戦線異状なし/all quiet on the western front〈2〉

 

キャンプに戻ってきて、みんなで座っていた。今日、新しい雇兵が来た。僕らは彼らを見ていた。自分たちがヒメルストスに訓練されたあの時を思い出しながら。奴が僕らにさせたことを。

「郵便配達人として働いてた頃の奴は、あんなじゃなかったと思うよ」

僕は言った。

「なんであんな横暴な野郎になっちまったんだ」

「奴が軍服を着た時からなんじゃないか」 

ケロップは言った。

「まあ、それが普通だろうね」

カチンスキーは言った。

「でも、もっと深刻な話、犬を飼ってるとして、いつも芋をやってたのに、急に肉を食べさせてやったらどうなると思う?きっと犬は夢中になる。これは動物の本能みたいなものだ。もちろん人間にだって言える。一度少しでも権力を手に入れてしまえば、それを利用するようになるし、どんなに冷酷にだってなれる。指揮官なんてみんな、前は農家とか建築家とか、奴みたいな郵便配達人とかだった奴だよ。権力の味なんて少しも知らなかった奴が、急に絶大な力を手に入れて、今じゃ奴らもイカれた犬だよ」

「奴らにとっちゃ命令が絶対だ」

ケロップは言った。

「ああ、確かに命令は大事だよ。でも、お前たちはまだ、人間を保つことが出来る。奴らにとっちゃあ難しいことだが。」

カチンスキーは言った。

そこに、チャデンが興奮し気味に走ってやってきた。

「誰が前線にやってきたと思う?_____ヒメルストスの野郎だよ!」

チャデンは、僕らの中でも特にヒメルストスと関係が悪かった。奴は、チャデンに対して一番扱いが酷かったんだ。

 

 

奴はいつも夜な夜なあるバーに通っていた。そしていつも真っ暗な道を通って帰る。僕らは隠れて奴を待ち伏せした。奴がバーから出てきた瞬間、ベッドシーツで奴を覆った。身動き出来ないように、後ろでシーツを括りつけて、ウェストスは奴を蹴り飛ばして、奴は倒れこんで叫んだ。声をあげられちゃあマズイから枕を持ってきていた。そいつで奴の頭を押さえつけたら、もう何も聞こえなくなった。チャデンは自分のベルトを外して、それでありったけの思いで奴をしばき倒した。その後僕らは奴を逃がした。誰かに見られちゃマズイから、すぐにその場を離れた。その夜の出来事のおかげで、次の日前線に向かうのに気持ちが少しは晴れたような気がした。

西部戦線異状なし/all quiet on the western front〈1〉

 

 


〈登場人物〉

ポール/Paul:主人公。19歳

チャデン/Tjaden:食いしん坊、鍵屋

ケロップ/Kropp:同年代、想像力豊か

ミュラー/Muller:同年代、几帳面、勉強好き

リー/Lee:同年代、女好き

カチンスキー/Katczinsky:最年長リーダー

ウェストス/Westhus:背が高い

デターリング/Detering:農家。家族想い

ケメリッヒ/Kemmerich:足負傷

ヒメルストス伍長/Himmelstoss:ポールらの軍入隊時の指揮官

 

 

最高の朝食を食べた。今日はツイてる。煙草まで手に入れた。今は静かで平和だ。チャデンとミュラーはスープを手に入れた。ミュラーはもとから几帳面な奴だが、チャデンについてはただ食い意地を張っているだけだ。その割には棒のように痩せこけた男だ。数週間前から前線に留まっているが、しばらくは一向に何も起こらなかった。でも最終日に、イギリス軍が攻撃を仕掛けてきた。150人もいた兵士は、帰ってくる頃にはすでにたったの80人。料理人はそんなことをすっかり忘れていて、料理をいつもの人数分作ったもんだから、生き残った自分たちはいつもの倍食えた。ほかにいいことといえば、やっと質のいい睡眠がとれた。カチンスキーは、戦争の悪い所ってのは、睡眠が全く取れないことだって言った。

 

 

僕の名前はポール。19歳で、同年代にミュラー、ケロップ、リーなんかがいる。ミュラーは勉強が好きな奴で、彼は攻撃中でも数学のことを考えてるんじゃないかな。ケロップは想像力豊かで、リーはというと女のことばっか考えてる奴だ。僕らはみんな志願兵だ。鍵屋のウェストスって奴もいる。奴はとにかくデカい。チャデンの4倍の背丈はあるんじゃないかな。デターリングって奴は農家で、家族と家庭の話しかしない。あと、カチンスキー。彼は僕らよりだいぶ年上で、班のリーダーだ。

 

 

僕らはトランプで遊んでいた。するとケロップが言った、

「ケメリッヒはどこだ?」

「奴は病院にいるよ。脚をやったんだ。ヒドイ怪我だよ。」

僕は言った。コーヒーを飲んだ後、みんなでやつの見舞いに行くことにした。僕らが部屋に入った時、奴は微かににこりとだけした。ケロップが言った。

「調子はどうだい?」

「そんなに悪くもないよ..ただ、脚がかなり痛むんだ」

ケメリッヒは言った。ミュラーが口を開こうとしていたから、僕は蹴り飛ばしてやった。僕は知っていた。ケメリッヒは、もう脚がないんだ。だから痛みもクソもないはずなんだ。案の定、医者は僕らにそう告げた。しかしケメリッヒはというとそのことを知らなかったし、知るべきじゃなかった。奴をそっとしといてやりたかった。きっと奴は、近いうち死ぬ。顔は黄色く、手は真っ白で、まさに病人そのものだ。僕らは、奴にすぐ母さんと一緒に家に帰れるさと言った。ミュラーは奴のベッドの下にブーツのあるのを見つけた。

「お前、それ履いて帰るつもりか?俺らが持ってってやろうか?使うかもしれねえからさ」

でもケメリッヒは断った。そのブーツは奴にとって大切なものらしかった。僕らはみんな同じことを考えた。奴が仮に良くなったとしても、もうブーツを履けない。それでも奴がそれを手離したくないというなら、どうしてあげよう?僕らはまた来ると言って美容院を後にした。ミュラーはまだブーツのことを考えていた。

「あのブーツ、俺の足にピッタリだろな。ケメリッヒのやつ、明日の午後まで持つと思うか?

やつが死んだら、あのブーツは俺のもんだ」

「お前、どうして奴がすぐ死ぬ死ぬってわかる?」

ケロップは言った。

「奴の顔色見りゃわかるさ。」

 

 

僕らはキャンプに戻ってきて、タバコをふかした。途端、普段は大人しいケロップが、タバコを地面になげつけ、それを踏んずけ、狂ったように怒鳴りはじめた。僕らには奴の気持ちがよくわかった____僕らは、人生の半分も生きないうちに死ぬ。戦争が始まる前の普通の日常は、もう思い出すのも難しい。僕らには妻もいないし、子供もいない。僕らの先祖の系統は途絶え、何も残さずこの世を去るだろう。この間までは、自分の趣味がある奴もいた。でも彼らも、今ではそんなもの忘れている。いい靴を見つけるのさえ難しいから、ケメリッヒにそれが必要ないとわかったなら、奪えばいい。これは、ミュラーが特に性格が悪いとか、そういう問題じゃない。普通なんだ、この状況では。感情論はいらない。現実だけを見据えろ。以前から、こんなだった訳じゃない。軍に入隊した時なんかは、それこそ、戦争に対する、どこかロマン的な理想像なさえ抱いていた。軍の訓練に10週間も携わる頃には、そんな考えも消えた。国が求めるものは、個人じゃない。軍だ。大事なのは、指令と体制だけ。誰が特別に賢いとか、個性があるとか、そんなの国にとっちゃ全く興味のないことだ。そして僕たちはその事実を受け止めている。僕とケロップとミュラーとケメリッヒは、みんなヒメルストス伍長に訓練を受けた。奴は無礼であたりの強い性分で、特に僕達4人に対してはひどかった。僕らは奴を憎んだ。でも今とは、必要な経験だったと思う。僕らが、兵士になるとはどういうことなのか理解するために、必要だった。

 

僕はケメリッヒの病室に座っていた。その時には、奴は自分の脚が一本無くなったことを知っていた。

「脚を切断されたんだ」

「最悪じゃあないだろう?両足を失う奴だっているんだから...。それに比べちゃマシじゃないか。これからやっと母親のところへ戻れるわけだし」 

僕は言った。

「本当に僕が帰れると思うのか?」

ケメリッヒは言った。

「僕は、もう時期死ぬよ」

「このクソ野郎」

僕は言った。

「脚一本なくなったくらいじゃ死なねえよ。医者が鉄や木材やらなんやらで義足を作ってくれるんだ。それくれたら、もう大丈夫だろ」

ケメリッヒはただ僕を見つめていた。

何か言えないかとしばらく頭で考えたが、結局なにも言葉は出てこないままだった。

「お前、僕のブーツ、ミュラーにやってくれ」 

ケメリッヒは言った。

僕は約束した。 

ケメリッヒの顔色はどんどん悪くなり、痩せこけてきて、ああ、数時間後に死ぬなと思った。今まで何度も、人の死ぬのは見てきた。でも、ケメリッヒは、昔からの顔なじみだ。彼が最期に母親やら兄弟のことやらで嘆き叫んでくれたら良かったのに、奴は何も言わず、ただ静かに泣き出した。自分と同じ、19歳で孤独な、そんな姿の死ぬ間際の憐れな姿を直視するの耐えられるものではなく、僕は思わず目を逸らした。突然、変な音がした____僕はすぐに医者を呼びに行った。医者は、すぐに奴をどかせて、他の従業員に、新しい患者を運んでくるように言った。ただでさえ、病院を使用できない人々は。地面に溢れているのだから____。